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2014年12月29日月曜日

Buona sera 7


  お陰様で無事に今年一年過ごせました。心からお礼申し上げます。有難うございました。

  新年は2日から営業の予定です。
また頑張っておいしい料理と心地よい雰囲気を目指してまいります。
どうかよろしくお願い申し上げます。

皆様どうぞお風邪など召しませんように。

2014年12月24日水曜日

Buona sera 6

  今朝まだベッドの中にいる妻に向かって「鏡の中に未来が見える。」と言ったら、「自分が写ってるんでしょ。」と返ってきた。おっしゃる通り。 なんでわかるんだろ。頭の中の自分は実物よりずっと若い。
 
  さて私がイタリア料理に取り組み始めた時、もちろんイタリアそのままの味と雰囲気を目指しました。当然レシピも材料もです。

  しかし材料よりも、レシピよりももっと大切なことがある。それはイタリア人の心を理解することだと、私に教えてくれたのは、トスカーナに住む私と同い年のジョヴァンニさんでした。私の料理を試食して、一度も褒めてくれたことがありませんでした。「前よりはイイね」が最高点です。「いいオイルを使え」「たっぷり使え。まだ少ないヨ」から始まり「イタリア人になりきって作れ」「パバロッティになった気持ちで歌いながら料理しろ。」に至るまで。これらは彼の口癖でした。私は忠実に努力しました。
  イタリア人でもなく、イタリアで修業してもいない私がちゃんとやっていくための秘訣を教えてくれました。おかげで今でも続けていられるのかも。

②オリーブ  黒と緑
  私の好きな2種類の黒と緑のものをご用意しました。
酒のおつまみに、料理のポイントにといろいろに使います。日本の梅干しのようですね。
オリーブオイルについてはまたの機会に譲りたいと思います。あまりに長くなりそうなので・・・・・

2014年12月22日月曜日

Buona sera 5

  「あんなに毎回たくさん書いていたら、あっという間にネタ切れになっちゃうよ。」と常連さんに言われた。確かに毎日厨房の中にこもってフライパンを振り続けている私にとって、これと言って新しいことの起こりようもなく、人様にご紹介する話題に事欠くことも十分に予想していました。
  しかし私には皆様にお話ししていない秘密兵器があったのであった。

  しばらくは私どものメニューについてお話をさせていただきましょう。

①パルマ産プロシュット


 
  メニューの最初を飾るプロシュット。
生ハムです。
  テンダロッサが店を始めたころは、イタリアのハムは当時の厚生省の外国食材への無理解から、輸入許可が下りておらず、やむなくスイス製を使用した時期もありました。

 イタリアには何か所か著名なプロシュットの産地があり、中でもパルマとサンダニエレは2大産地として知られています。
 

  イタリアでは自国の生産物の信用を高めるために、該当製品の生産地、伝統的製法に基づく生産、加工法を守ること、さらにその製品の性質がその地域の要素に由来していることなどの厳しい基準を設けています。
  パルマにおける生ハムも基準を満たしていないものは「パルマ」という名前を使うことは許されません。

  もともと古代ローマの時代から愛されてきたこのハムは、北イタリアのエミリア・ロマーニャ州のパルマ地方の南部丘陵地帯でのみ作られ、この地方の気候風土が独特の甘味やナッツ香さえ感じさせる風味をもたらします。手仕事の伝統的製法は豚のモモ肉1本丸ごとをサラトーレと呼ばれる塩漬け職人によって塩漬けされ、約100日間寝かされることに始まります。
さらに風乾室でまた100日間風に当て熟成させます。
その後切り口にラードを塗り、熟成庫で手入れを重ねつつ1年から長いものは2年の時間をかけます。
こうして出来上がったハムはマークの入れ墨、王冠マークの焼き印、メタルのシールなどが施され出荷されます。
日本やアメリカの大量生産製品との違いはその製造にかける時間と手間でありましょう。

  イタリアの人は「薄く切れ」とうるさく言います。豚肉と塩と空気と時間とだけから作り出された風味をより十分に楽しむためです。
テンダロッサでは本来の風味を壊さないように、ご注文の都度、厨房の出入り口にあるスライサーで1枚1枚丁寧にスライスしてご提供いたします。ぜひお試しください。

追伸
  健康のためにと脂身を敬遠なさる方がよくいらっしゃいますが、生ハムの脂身にはオレイン酸、リノール酸などの不飽和脂肪酸が圧倒的に多く含まれ、むしろこれを召し上がるほうが血管疾患等の予防につながるといわれています。健康に良いイタリア料理の「理由その1」はここにありました。
つづく






2014年12月18日木曜日

Buona sera 4



  スパゲティをきれいに食べるのはなかなかむつかしい。
シャツやネクタイに飛んでその日1日気分が悪いことだってある。少なくともサラリーマン時代の僕にはあった。今夜は憧れの彼女との初デートで、めかし込んで出てきた仕事中の昼飯のことだ。全くがっかりだ。スパゲティが憎い。
なーんてご経験はありませんか?

  やはりイタリア人がとても上手に食べますので(当然だ!)彼らの食べ方を見ましょうね。
  フォークを右手にペンを持つように(人によっては棒を握るように)持ちます。皿の端の方から少なめにとり、フォークを時計回りに回して巻き取ります。彼らは絶対に左に回しません。悪魔がやってくるからと言われているそうです。(ポイント①ここで多く取りすぎて、あとで口があーんぐりになっちゃうと実に困る)
  全部巻いてから初めて口に運びます。しっかり口を開けてパスタを口の中に入れてしまいます。彼らは絶対にすすりません。(まあ、すすれないのですが。)すすると服に飛びます。服に飛ぶとパスタを食べたくなくなります。するってえと、あっしのショウベエ(商売)がつらい。だから、パスタはすするな! (ポイント②ちゃんと口に入れる、すするな!)
しかし、うどんやそばはヤッパリ、ずずーって、すすらないとおいしくないですね。
  ところで最後に残った短いパスタやソースはどうやって食べるか聞きたいでしょう?
イタリアの人はパンを左手にフォークを右手に、パンにソースをつけながら、短くなったパスタはパンに寄せて、上手に食べていました。お皿はきれい。(ポイント③パンを使う)

    
 

2014年12月16日火曜日

Buona sera 3,

  イタリアの街のレストランに入ると、入り口に近いところに右の写真のような席があって、少しお歳を召した男性たちがおしゃべりしながら、チーズやそら豆をかじりながら、あるいはハムやサラミをムシャムシャしながら、ワインを飲んでいるのを見ることがあります。
  私どもテンダロッサでもこのお席やカウンターでビール、ワインを召し上がっていかれる常連さんがいらっしゃいます。最近は若い女性にもそんなお客様が増えて、私はおおいにご機嫌です。

  さてイタリア料理は、その起源は紀元前8世紀とイタリアの人々が言っているローマ人の国の建国の時代に遡ります。すると彼らの伝説の通りトロイからの?するとギリシャ文明の?え、もっとクレタ島の?いや、まだ更にエジプトの時代まで?どこまで遡れば良いのか見当がつかなくなっちゃいます。要するにとっても古いということ。

  直接的にはローマ帝国時代から連綿と西洋世界の中心であったイタリアの地において、華開いたルネッサンスの時代に現代イタリアリア料理の源があるようです。当時世界の情報、物産そしてカネの一大集積地であったジェノヴァ、フィレンツェなどの貴族階級の商人たちのために贅沢な材料、時間、手間暇をかけた晩餐の料理が生まれ、進歩していきました。
  そのころフィレンツェのメディチ家からアンリ2世に嫁した姫に付き従ってフランスいりした調理人たちによって現代フランス料理の基礎がもたらされ、ナイフと手づかみで食事していたフランス王は、ナイフとフォークで食事を始めたイタリア人の若い嫁の食事を驚いて眺めていたらしい。
  当時からイタリアにはヨーロッパ世界の最先端の貴族料理、宮廷料理が確立していたようですね。

  現在イタリア料理と言われるものにはこの宮廷料理の流れをくむもの、個性あふれる地方の家庭料理の流れをくむもの、フランス料理とのコラボをしたかのような新料理といったものなどがあってイタリアでは店の個性で明確に分かれているようです。

  私どもではもうそんなカテゴリーなんてどうでもよくなって、とにかく美味しいイタリア料理を召し上がっていただいて「幸せなお食事の時間」をお楽しみいただきたいという想いだけになっちゃいました。きっともうすぐ70歳に、うまくすると、なりそうだからかもしれません。
つづく

2014年12月13日土曜日

Buona sera. 「今晩は」--2、
ボナセーラ(イントネーションは__〰ーと明るく、軽く発音したいですね。)

  今夜から何度かに分けて、少しイタリア料理についてお話させていただきましょうか。

  私どもテンダロッサでお出ししているのは主に家庭料理をレストランの料理として洗練、完成させたものが中心です。
  「イタリアにはイタリア料理はない、あるのは幾種類もの地方料理である。」ということがよく言われます。
ローマ帝国崩壊後、西暦1861年のイタリア王国による統一まで、ベネツィア、ジェノヴァの両共和国や他の都市国家に分かれ、周辺諸国、ローマ法王庁の思惑により離合集散を繰り返し、それぞれの地方の強烈な郷土意識が育った歴史的背景があります。
また国土が南北に長く、地形も気候も変化に富み、その土地の特産物に恵まれて、私たちの日本では考えられないほど地方色の豊かな、非常にその伝統を重んじる郷土料理が作りあげられました。
どこの土地のどんな料理でも取り入れて、食卓に乗せる私たちと比べると、まるで偏食のように思えますが、彼らはその土地で採れる産物(多くは昔ながらの作り方を律儀に守っている)をおばあちゃん、お母さんと伝わって来た料理法に忠実に料理し、一家そろってテーブルについて神に感謝しながらいただくというスタイルを全くといっていいほど崩そうとはしません。

そんな風にして生まれて伝えられている地方の家庭料理を、商品として洗練させ完成させたレストラン料理の中から、日本のお客様にお伝えしやすいものを選んだり、現地の伝統を重んじ、イタリアの心をよく伝えることを心掛けながら、親しみやすくアレンジしメニューに取り上げています。

  それにしても自分のお母さんの料理以外は全く認めようとしない男の多い、イタリア人からはなかなかお褒めの言葉はもらえません。
以前ずいぶんお世話になったジョヴァンニさんはそれでも、会うたびに、「前よりは良くなったんじゃない。」が精一杯でした。数年前、女子バレーボールのワールドカップが日本で開催された時、岡山で合宿中のイタリアチームの団長のフランコさんと仲良くなり、約一週間毎晩チーム25名引き連れて食事をしてくれたことを報告した時だけ大喜びのメールをもらいました。
つづく



2014年12月11日木曜日

ブログはじめました♪


Buona sera. (ボナセラ)こんばんは
  私のこのブログと同時に、妻が始めるフェースブックで「Buon giorno.(ボンジョルノ)こんにちは」という書き出しを使うと言うので、私はいつものようにここは譲って、この言葉Buona sera.で書き始めることにいたします。

  夫婦で一応の役割分担として、妻は折に触れて変わる料理やイベントなどのご案内を、私はイタリア料理屋にまつわる様々を取り上げて行くことになるでしょう。しかし私のことですから、これからどこへ行くのやら、収拾のつかない気配もちらほら。

  さて20数年前のこと、3度の飯よりも(ええっ。3度の飯全部これに代えても良いほど)イタリア料理を食べるのが大好きな、まったく別の業界の営業担当サラリーマンだった私は、とある大都会の小さなイタリア料理店の腕っこきオーナーシェフと仲良くなりました。
何年か経ち母の看病のために帰って来た岡山で念願のイタリア料理屋を始めることになり、再度イタリアへ勉強に出かけていた、かのシェフを呼び戻しました。
 
  明るい陽射しに映える赤いテントの下で、みんなで飲んで食べておしゃべりして人生を楽しむ、そんなイタリアのイメージから、店名をTENDA ROSSA(テンダロッサ)と名づけました。赤いテントという意味です。皆様においしく、心地よく、楽しんでいただけるようにという願いを込めました。

  数年後シェフの奥さんの健康事情から彼らは元の地へ戻ることになり、そこから私の猛勉強が始まりました。私のレシピ帳は厚みを増し、今や私の脳のキャパをとっくに超え、最近増してきた、かの老人力なるものの力もあり、かなりのものは過去にご提供していたことも覚えてもいない状態になっています。やれのお。
  ついでに言い訳をしておきますと、そんなことで私はお客様のお顔とお名前が、なかなかに一致しない、あるいは度忘れを頻発するという超能力も発揮します。妻の名だって4年も前に亡くなったワン公の名前と言い間違えることすらあるのですから、まったくもって・・・・
つづく